「豚汁」を「ぶたじる」と読むか、「とんじる」と読むか・・・どうでもいいことにこだわって、イライラしていませんか?

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院長夫人

自分ではこうではないとダメ!とこだわっていることってありませんか?

それは他人にとっては、どうでもいいことでもあったりします。

こだわりを手放すと、イライラから解放されるかもしれませんよ・・

 

※太宰府天満宮

「豚汁」は、「ぶたじる」か「とんじる」か・・

先日、定食を食べようとお店に入りました。

そのとき気になった「豚汁」を頼むことにしました。

 

私:「ぶたじる定食ください」

定員さん:「とんじる定食ですね」

私:「いや、ぶたじる」

定員さん:「とんじるですよね?」

私:「そうですけど・・」

 

「豚汁」を「ぶたじる」と読んで何が悪い!

と腹が立ってしまい、そのまま食事となってしまいました。

後になって考えると、どうでもいいことなのですが・・

そのときには、「ぶたじる」だから「ぶたじる」だ!とみょうにこだわってしまって、イライラしてしまいました。

こんなことって、ないでしょうか・・

 

「豚汁」を「ぶたじる」と読もうが、「とんじる」と読もうが、出てくる料理は同じ。

であれば、イライラするぶんだけ自分が損をしてしまいます。

言い争っても、なんにも得をすることがありません。

ただ、自分の「自分が正しいのだ!」とう満足感だけが残るだけです。

それも、すがすがしいものではないはずです。

いや~な気持ちが残ってしまいます。

 

「ぶたじる」であろうが、「とんじる」であろうが、どちらでもいいのだ、という心の余裕を常に持ちたいです。

持ちませんか?

 

自分ではこだわっていることは、自分だけにしておく

私が他人にはどうでもいいことで、こだわっている細かいことと言えば・・

洗濯した靴下の干し方です。

靴下は、つま先の先っちょを洗濯ばさみで挟んで干します。

これが靴下の足を入れる方だと、なんだか嫌なのです。

自分の中の決まりなのです。

しかし、洗濯物を干してくれるのを家族が手伝ってくれることがあります。

そうしたときに、自分のこだわった干し方でないときがあると、イライラしてしまっていました。(過去は・・)干し直すこともありました。

それって、せっかく手伝ってくれた人の気持ちも嫌な気持ちになりますし、自分も嫌な気持ちになってしまいます。

だから、他人にとってはどうでもいいこだわりは、手放してしまうのです。

すると、自分のこだわった干し方でなくてもOKだから、イライラすることもなく、干し直す手間もなくなります。

また、手伝ってもらえて、ラッキーと嬉しくなります。

いいことだらけです。

自分が干すときだけに、こだわったらいいのです。

 

なにか他人にとってはどうでもいいことに、こだわっていませんか?

それをちょっと手放してみませんか・・

たくさんイライラすることから、少し解放されませんか・・

自分のこだわりで、自分を苦しめていませんか・・

 

 

【足あと】

昨日は、力を注いだ息子の弁当が空っぽになって帰ってきたので、とっても嬉しかったです。

たま~に弁当の中身が残っていることがあり、がっかりしてしまうときがあります。

弁当を作れること、それを食べてもらうこと、これって幸せだな~と感じました。

おいしく食べているのだろうかと、日々どきどきです。

 

【昨日のにっこり】

息子のお弁当が空っぽになっていたこと

魚屋さんでかったふぐの刺身がおいしかったこと

TKCの担当の方と楽しく話ができたこと